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横浜地方裁判所 平成7年(ワ)3033号 判決

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

青木勝治

三上和秀

被告

乙野一郎

右訴訟代理人弁護士

吉川晋平

金子泰輔

若田順

主文

一  被告は、原告に対し、五一八五万九一四八円及びこれに対する昭和六二年一月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その二を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、八六六八万一四五二円及びこれに対する昭和六二年一月一四日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告が普通乗用自動車(〈車両番号略〉以下「本件車両」という。)の運転を誤り、同乗中の原告に傷害を負わせた事故(以下「本件事故」という。)により生じた損害について、原告が民法七〇九条及び自動車損害賠償保障法三条に基づき賠償を求めた事案である。

一  争いのない事実等

1  本件事故の発生

(一) 発生日時 昭和六二年一月一四日午前一時三〇分ころ

(二) 発生場所 横浜市中区山下町一一三番地先市道上

(三) 事故態様 被告が、本件車両の助手席に原告を乗せて走行中、中央分離帯(路上中央部分に埋め込まれているいわゆる反射盤「キャッツアイ」。以下「キャッツアイ」という。)に接触した後、左側に走行して歩道に乗り上げ、更に左前方の建物の前に設置された花壇に衝突し、原告が傷害を負った。

2  本件事故に至る経緯等(但し、争いがないもの)

(一) 原告は、本件事故当時満一八歳で、高校三年生に在学中だった。

(二) 原告と被告は本件事故当時交際中だった。

(三) 原告と被告は、本件事故の日の午前〇時ころ本件事故の発生場所付近のファミリーレストランに入って食事をした後、本件事故の約五分前に、原告は、被告が所有し、運転する本件車両の助手席に同乗して、右ファミリーレストランを出発し、本件事故の発生場所付近にさしかかった。

3  傷害

原告は本件事故により腰椎脱臼骨折、左下腿骨骨折及び左腓骨神経麻痺の傷害を受けた(左腓骨神経麻痺との因果関係につき、甲八、一〇、乙五の一。その余は争いがない。)。

4  原告の入通院状況

(一) 入院

(1) 医療法人博生会本牧病院(以下「本牧病院」という。)

昭和六二年一月一四日から同月二三日まで(一〇日間。以下「第一回入院」という。)

(2) 国家公務員等共済組合連合会横浜南共済病院(以下「横浜南共済病院」という。)整形外科

昭和六二年一月二三日から同年六月九日まで(一三八日間。以下「第二回入院」という。)

(3) 横浜南共済病院整形外科

昭和六二年九月三〇日から同年一〇月一四日まで(一五日間。以下「第三回入院」という。)

(4) 横浜南共済病院整形外科

昭和六三年一一月二二日から同年一二月一〇日まで(一九日間。以下「第四回入院」という。)

(5) 横浜南共済病院整形外科

平成四年二月三日から同年四月二五日まで(八三日間。以下「第五回入院」という。)

(6) 横浜南共済病院整形外科

平成四年五月六日から同月一三日まで(八日間。以下「第六回入院」という。甲一三)

(7) 横浜南共済病院神経科

平成四年五月一三日から同月一九日まで(七日間。以下「第七回入院」という。乙一〇五の一)

(8) 横浜南共済病院神経科・整形外科

平成四年六月一四日から同年九月二九日まで(一〇八日間。以下「第八回入院」という。なお、整形外科に入院した日数は同年七月一日から同年九月二九日までの九一日間である。甲一五、一六。乙一一〇の一、二)

(9) 横浜南共済病院神経科

平成四年九月二九日から平成五年一月三〇日まで(一二四日間。以下「第九回入院」という。乙一〇八の一)。

(10) 横浜南共済病院神経科

平成五年五月二八日から同年六月一日まで(五日間。以下「第一〇回入院」という。乙一〇九の一)

(二) 通院

(1) 横浜南共済病院

昭和六二年六月一〇日から同年九月二九日まで(実日数七日間。以下「第一回通院」という。実日数につき乙九一の二)

(2) 横浜南共済病院

昭和六二年一〇月一五日から昭和六三年一一月二一日まで(実日数一三日間。以下「第二回通院」という。乙九一の二)

(3) 横浜南共済病院

昭和六三年一二月一一日から平成四年二月二日まで(実日数二日間。以下「第三回通院」という。乙八三の一、九一の二)

(4) 横浜南共済病院

平成四年四月二六日から同年五月五日まで(実日数一日間。以下「第四回通院」という。乙八四の三)

(5) 横浜南共済病院

平成四年五月二〇日から同年六月一三日まで(実日数七日間。以下「第五回通院」という。このうち、整形外科に通院したのは実日数四日間である。乙九一の二、一〇六の四、一〇七の三)

なお、原告は第九回入院中にも整形外科に通院しており、この日数は実日数で五五日間である(乙九一の二)。

(6) 横浜南共済病院

平成五年一月三一日から同年七月一二日まで(実日数一四日間。以下「第六回通院」という。なお、整形外科への通院日数は実日数六日間である。乙九一の二、一〇八の四から六、一〇九の二、三)

なお、原告は、昭和六二年一月二〇日から同月二二日で本牧病院に通院したと主張するが、右事実は認めるに足りる証拠はない。

(三) 以上の入通院の治療費のうち、本牧病院及び横浜南共済病院整形外科について生じたものは四四七万〇九一〇円である。

5  損害の填補

原告は被告から四七四万八二〇一円の支払を受けた。

二  争点

1  争点1

被告に本件事故の責任はあるか。

(一) 原告の主張

被告は、本件車両の運転操作を誤って本件事故を起こしたものであり、本件車両を自己のために運行の用に供していた。

(二) 被告の主張

被告の責任については争う。本件事故の状況は、以下のとおりである。

(1) 原告と被告は、ファミリーレストランを出るころから些細なことで口論を始め、口論は発進後の本件車両の車内でも続いていた。

(2) さらに、原告は、車内で、運転中の被告の左肩、左脇や左腕等を手で掴み、押したり引いたりし始めた。これに対して、被告も、左手で、原告の手を払いのけるようにした。

(3) この間、被告は、前方を見て中央寄り車線を進行していたが、原告が体を掴んで押したり引いたりしたため、前方注視が不十分となり、次第にハンドルを的確に操作することができなくなって、本件車両の進路が右方向へ寄ってしまった。

(4) その結果、キャッツアイに乗り上げてしまい、車体が大きく振動した。

(5) そこで、被告が急いで左にハンドルを切ったところ、今度は左側の歩道の縁石に本件車両の左前部が衝突した後、左側の歩道に車体が乗り上げ、左前方の建物の前の花壇に衝突した後、回転して停止した。

(6) なお、このとき、原告も被告もシートベルトを装着していなかった。

2  争点2

本件事故と因果関係がある入通院及び後遺障害は何か。

(一) 原告の主張

(1) 前記一4の原告の入通院状況のうち、第一回入院から第六回入院及び第八回入院のうち、整形外科に入院したもの並びに第一回通院から第六回通院のうち、整形外科に通院したものは、本件事故と因果関係がある。

(2) 原告の後遺障害は以下のとおりであり、これらの後遺障害は本件事故と因果関係がある。また、この後遺障害のうち、最も重い⑨の背柱の障害は、背柱に著しい運動障害を残すもの(常時コルセットの装着を必要とする。)で、自動車損害賠償法施行令の後遺障害の等級第六級に該当し、⑦は、神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外不能になったもので、右施行令の後遺障害の等級第七級に該当するので、併合して第四級と認定されるべきものである。

① 頸椎

疼痛が可動域を制限

右肩が上がっている

肩甲上神経部の圧痛、硬結

② 背部

手術創痕あり

脊椎の不撓性、亀背あり

創部周囲の知覚障害あり

③ 腰椎

後屈3度、右側屈10度、左回旋18度

前屈10度、右側屈12度、右回旋12度と可動域に著明な制限あり

不可動時の疼痛あり

④ 足関節

骨折のため可動域制限あり

左側変形あり、腫脹あり

左下肢全体の知覚障害あり

全体に左下肢筋力低下あり

歩行障害あり

⑤ 左下肢の反射筋力低下、知覚障害により神経症状あり

中臀筋   右正 左やや低下

大臀筋   右正 左やや低下

腸腰筋   右正 左やや低下

大腿四頭筋 右正 左やや低下

外転筋   右正 左やや低下

⑥ 下腿周径 右三五センチメートル、左三三センチメートル

大腿周径 右四七センチメートル、左四〇センチメートル

筋萎縮あり

⑦ 本件事故により腰椎前方固定による可動域の制限や神経症状・左下肢の骨折による筋力低下に伴う歩行障害及び事故による精神的障害(心的外傷後ストレス障害)により軽易な労務以外はできない状態にあり現在も精神神経科に通院中である。

⑧ 醜状障害 創痕

左右両脇腹に各22.5センチメートル

右腰部に五センチメートル二か所

左腰部に五センチメートル、一五センチメートル

左下肢に上から六センチメートル、2.5センチメートル、七センチメートル、三センチメートル、二センチメートル

⑨ 背柱の障害

圧迫骨折あり手術施行

亀背あり

運動障害

頸椎部 右屈28度  左屈10度

右回旋75度 左回旋45度

荷重機能障害

腰痛のため常時コルセット装用の必要性あり

⑩ 長管骨の変形

足関節部の関節内の変形骨折による変形癒合あり

⑪ 関節機能障害

関節名   他動   自動

右  左  右  左

足 背屈 30度 12度 28度 10度

底屈 45度 40度 38度 30度

股 外旋 45度 28度

内旋 80度 80度

外転 43度 45度

内転 32度 30度

屈曲 115度 120度

以上の後遺障害について緩解の見通しはない。

(二) 被告の主張

(1) 第六回入院以降の入通院は、原告の心因反応等精神的不安定に起因するものか、平成四年六月一四日原告が階段を飛び下りたことによるものである。後者が本件事故と無関係であることは当然である。前者についても、原告は、本件事故の後、普通に日常生活を送っていたのであるから、仮に原告が精神的障害が生じたとしても、それは、平成元年四月一八日結婚し、同年一〇月一〇日長男を出産したにもかかわらず、平成三年四月九日夫が死亡し、平成四年六月五日以降原告の父が行方不明となり、さらに原告の兄が平成元年四月三〇日死亡したことなどを原因とするもので、本件事故と無関係である。

鑑定の結果、鑑定人は、原告の精神障害が本件事故の外傷体験によって引き起こされた重症の心的外傷後ストレス障害としているが、右鑑定は環境要因及び性格的要因の寄与を軽視しており、妥当ではない。

したがって、原告の平成四年五月六日からの入通院は因果関係はない。

(2) 原告の後遺障害については、自動車損害賠償法施行令の等級第六級に該当するものとする限度で認めるが、その余は争う。

原告が後遺障害の主張の根拠としている平成七年五月三一日診断、同年六月六日作成の自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(甲第三号証。以下「後遺障害診断書」という。)は、本件事故と無関係である原告の精神的不安による神経症状や平成四年六月一四日原告が階段を飛び下りたことにより受傷した骨折等も渾然一体として記載しており、その結果、これら全ての症状を前提とした症状固定日を平成五年七月一二日としているもので、その信用性を争う。

3  争点3

原告の損害額はいくらか。

(一) 原告の主張

(1) 治療費関係六〇九万九二六〇円

ⅰ 入通院治療費

四四七万〇九一〇円

(前記一4(三)のとおり、金額自体は当事者間に争いがない。)

ⅱ 入院雑費(第一回入院から第六回入院及び第八回入院のうち、整形外科に入院したものに対応する分)

六八万三二〇〇円

一日につき一四〇〇円の割合で計算

一四〇〇円×四八八日=六八万三二〇〇円

なお、入院日数は三六四日間であるが、原告主張のとおり記載する。

ⅲ 入院付添看護料

原告の母甲野春子(以下「春子」という。)が入院期間中九〇日付き添った。

一日につき五〇〇〇円の割合で計算

五〇〇〇円×九〇日=四五万円

ⅳ 通院付添看護料

三六万九〇〇〇円

春子が一二三回付き添った。

一日につき三〇〇〇円の割合で計算

三〇〇〇円×一二三回=三六万九〇〇〇円

ⅴ 胸椎装具 三万四九五〇円

ⅵ 交通費 九万一二〇〇円

原告と春子が、昭和六二年六月一〇日から平成五年七月一二日まで通院した実日数一二〇日分(横浜南共済病院に右期間通院した実日数は一〇一日であるが、原告主張のとおり記載する。)の京浜急行黄金町駅―追浜駅間の往復電車賃

七六〇円×一二〇日=九万一二〇〇円

ⅶ 小計 六〇九万九二六〇円

(2) 休業損害一三八七万七一六七円

原告は、本件事故がなければ、昭和六二年四月一日から就労した。賃金センサス第一表中、産業計・企業規模計・女子労働者の表によって、原告の休業損害を計算すると、以下のとおりになる。

昭和六二年四月一日から昭和六三年三月三一日まで 一六二万三二〇〇円

昭和六三年四月一日から平成元年三月三一日まで 一六六万八〇〇〇円

平成元年四月一日から平成二年三月三一日まで 二二八万一〇〇〇円

平成二年四月一日から平成三年三月三一日まで 二三九万三三〇〇円

平成三年四月一日から平成四年三月三一まで 二五二万四五〇〇円

平成四年四月一日から平成五年三月三一日まで 二六二万八一〇〇円

平成五年四月一日から平成五年七月一二日(症状固定時)まで

七五万九〇六七円

二六八万九九〇〇円×一〇三日÷三六五日=七五万九〇六七円

小計 一三八七万七一六七円

(3) 逸失利益四三四二万一二二六円

自動車損害賠償法施行令の後遺障害の等級第四級の労働能力喪失率九二パーセント

症状固定時(平成五年七月一二日)から六七歳までの稼働年数は四三年間(ライプニッツ係数17.546)

症状固定時である平成五年度の賃金センサス高卒女子平均賃金年二六八万九九〇〇円

268万9900円×0.92×17.546=4342万1226円

(4) 慰謝料 二〇〇三万二〇〇〇円

ⅰ 入通院分 四〇三万二〇〇〇円

入院が長期にわたり、身体の各部位に後遺障害が残り、症状固定と診断されているが、現在なお精神神経科に通院し、治療を受けていて、苦痛が大きいことを考慮して、通常より二割増額した。

ⅱ 後遺障害分 一六〇〇万円

ⅲ 小計 二〇〇三万二〇〇〇円

(5) 弁護士費用 八〇〇万円

(6) 小計 九一四二万九六五三円

(二) 被告の主張

(1) 治療費関係

ⅰ 入通院治療費については、前記2のとおり、因果関係を争うものがある。

ⅱ 入院雑費については一日の単価及び入院日数を争う。

ⅲ 入院付添看護料及び通院付添看護料については、付添の事実があったとしても本件事故と因果関係はなく、付添が必要だったこともない。また、一日の単価についても争う。

ⅳ 胸椎装具については、国民健康保険により二万四四五六円が支給されており、残額の一万〇四八五円についても支払済みである。

ⅴ 交通費については、春子の付添の事実があったとしても因果関係はなく、付添が必要だったものでもない。また、原告の通院実日数は二二日である。

(2) 休業損害は争う。

(3) 逸失利益については、前記2(二)のとおり、自動車損害賠償法施行令の等級第六級に該当するものとする限度で認めるが、その余は争う。

(4) 慰謝料及び弁護士費用は争う。

(5) 原告は、被告が契約していた自家用自動車保険の搭乗者傷害保険から、搭乗者保険金として合計四〇六万二五〇〇円の支払を受けた。この保険金は、原告の損害を填補するものだから、損害額から控除される。

4  争点4

原告の損害について、過失相殺又は好意同乗による減額を認めるべきか。また、その程度はどれくらいか。

(一) 被告の主張

前記1(二)のとおり、本件事故の発端は、原告が運転中の被告の左肩、左脇、左腕等を手で掴み、押したり引いたりした危険な行為をしたことであり、本件事故の発生については原告にも過失がある。この過失の割合は少なく見ても五割は下らない。

また、原告は、事故につながるような被告の運転操作を誘発したのだから、原告・被告間の責任配分を公平にするという観点から「好意同乗者」として、その損害額を減額すべきである。

(二) 原告の主張

原告が危険な行為をしたことはなく、原告に過失はない。

また、春子は、被告に対し、本件事故の当日原告をあまり遅くならない時間に帰宅させるように頼んでいたこと及び本件事故の直前、被告が原告の意思に反した方向に本件車両を走らせたことからすると、原告は好意同乗者ではない。

第三  争点に対する判断

一  原告の責任の有無(争点1)について

1  乙第一一六号証及び被告(以下の認定に反する部分を除く。)本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められる。

(一) 原告と被告が食事をとったファミリーレストランの駐車場付近から、原告と被告は、些細なことで口げんかを始めた。

(二) 被告は、原告を助手席に同乗させ、本件車両を運転していたが、原告と被告の口喧嘩はますまエスカレートして、お互いの体をたたき合うようになった。

(三) このような状態で、被告は、片側二車線の道路の中央分離帯寄りの車線を時速六〇キロメートルくらいで運転していたところ、本件車両はキャッツアイに乗り上げ、突然ショックが車体に響いた。

(四) 被告は、キャッツアイに乗り上げたことがわかると、とっさにハンドルを左に切った。すると、本件車両は、左前輪付近を歩道の縁石に衝突した。被告は、この衝突の衝撃でそのままアクセルペダルを踏んだ状態になり、歩道上を走った上、左前方の建物の前に設置された花壇に前部から衝突し、本件車両はスピンして花壇より車道に寄った植込みの中で停止した。

原告は、本人尋問において、被告が運転しているとき、被告の体に触ったり、腕を引っ張ったりしたことはない等と供述しているが、本件車両の走行の態様から、右供述は信用できない。また、被告は、本人尋問において、本件車両に乗ってから口論が始まり、原告は助手席から右手で被告の左肩をつかんで、左右に揺らし始めた等と供述し、被告作成の陳述書(乙第一一七号証)には、これに沿う記載がある。しかし、被告本人尋問期日の平成一〇年二月一六日より前に作成された株式会社損害保険リサーチの調査報告書(乙第一一六号証)の記載に照らすと、前記被告本人の供述等は信用できない。

2  以上認定した事実及び争いがない前記第二の一2の事実を総合すると、被告は、本件車両の所有者であり、本件事故の際、本件自動車を運転していたのであるから、自己のため本件自動車を運行の用に供していたものと認められる上、被告は、本件車両を運転する際、適切に自動車を操作して運転すべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、原告と口げんかしたことにより注意が散漫になり、キャッツアイに乗り上げ、その後の運転操作を誤って、本件事故が起きたものと認められる。

したがって、被告には損害賠償責任がある。

二  本件事故と因果関係がある入通院及び後遺障害(争点2)について

1  本争点の主たる論点は、原告の精神的不安定が本件事故の外傷体験によって引き起こされた重症の心的外傷後ストレス障害といえるものかということである。

そこで、第一にこの点について検討し、この検討を踏まえて、本件事故と因果関係がある入通院期間について判断し、その後に、他の後遺障害についても検討した上、本件事故と因果関係がある後遺障害は何かについて判断することにする。

2  原告の精神障害

(一) 原告の症状の経過

甲第一三から一五、一七、二〇ないし二四号証、乙第三〇、三一号証、三七号証の一、三、五、七ないし九、三八号証の四、四〇号証の三、四二号証の一ないし二七、四三号証の二、三、七、八、一〇、一二、一三、一八ないし二〇、五二号証の一ないし八、五三号証の三、四、六八号証の一ないし三、七〇号証の二、四、六、八、一一、一二、七六号証の一、三、五、七ないし一〇、第八一号証の二ないし四、第八四号証の二、三、五、第八五号証の二、一〇、一一、一五、第八六号証の四、第一〇四号証の三、第一〇五号証の三、八、一一ないし一三、第一〇六号証の四、第一〇七号証の一、三、六ないし八、第一〇八号証の三ないし七、第一〇九号証の一ないし三、七ないし一六、第一一〇号証の三、四、七ないし九、四〇ないし五二、五四、五六、五七、第一一一号証の七二、第一一二号証の三、四、第一一六号証、鑑定の結果並びに証人中野幹三及び甲野春子の証言によれば、以下の事実が認められる。

(1) 原告は、本件事故直後には、助手席前の空間に足の方から滑り落ち、潜り込んだまま動くことができなかった。しかし、意識ははっきりしており、痛い、痛いと声を発していた。

(2) 本件車両は、本件事故により前部が大破する等ほとんど壊れ、ドアもなかなか開かず、原告を本件車両から出すのに手間取り、何とか開いた運転席側から車外に運び出された。本件事故直後の原告を目撃した者は原告が死んだものと思っていた。

(3) 原告の第二回入院から第四回入院及び第一回通院から第四回通院の際の主訴は、腰痛、左足関節痛、左足の知覚鈍麻、感覚障害だった。

(4) 原告は、第二回の入院の際、腰骨がずれないように、ベッドに体を固定され、下半身は全く動かない状態だった。

(5) 原告は、平成元年四月一八日A(以下「A」という。)と婚姻したが、腰痛や足のしびれのため、夫婦生活や家事に支障があり、それが精神的な負担になっていた。また、体に創痕が残ったことで悲しいと思っていた。

(6) 原告は、平成元年一〇月一〇日長男Bを出産したが、出産の際には腰部に激痛を感じた。

(7) Aの肺癌が平成二年春に発見され、一年間の闘病生活の末、Aは平成三年四月九日死亡した。原告は幼い子を抱え、将来に強い不安を感じた。

(8) 原告は、出産後も、家事育児ができなかったし、腰痛も続いていた。手術を勧められていたが、成功するかどうか不安だったので、なかなか手術にも踏み切れなかった。しかし、原告は、腰痛が増強し、横になっていなければならない時間が長くなり、寝たきりに近い状態になったので、このまま腰痛を抱えて生きていくこともできないので、平成四年二月三日入院し(この入院が第五回入院になる。)、同月七日四時間余にわたり腰椎前方固定術の手術を受けた。手術後は、体を固定され、身動きができない状態が続いた。

(9) 原告は、第五回入院から退院した後の同年四月三〇日ころ春子とバスに乗っていて、乗り心地が悪いといって大声で騒ぎだしたことがあった。

(10) 原告は、事故の夢とともに、追いかけられて必死で逃げ回っている恐い夢にうなされ、大声をあげて目が覚め、涙を流すことがしばしば起こるようになった。原告は、同年五月初旬ころより、不眠、イライラ、頭痛、嘔吐等が出現し、過換気症候群を訴えたり、自殺を企てたりしたこともあった。同月六日横浜南共済病院の整形外科の外来に行き、順番を待っていると、指先から手首まで口の中に入れたり、自分の髪の毛を鷲掴みにして、頭を振り回したりした。そこで、入院することになった(この入院が第六回入院になる。)。原告は、このような異常な行動をしたことの記憶がなかった。第六回入院中の同月六日横浜南共済病院神経科の正岡敦喜医師(以下「正岡医師」という。)の診察を受け、以後、薬物療法、精神療法により症状が落ちついてきた。

(11) 原告は、第六回入院中、過換気症候群を訴えたため、横浜南共済病院の整形外科から神経科に転科し、心因反応により第七回入院をした。入院時に自分の手首にかみついたり、窓を開ける行動があったが、自傷行為について記憶がなかった。その後、原告はイライラを訴えていたが、精神療法を受けた。

(12) 第七回入院から退院した後の同年五月中旬以後は、波はあったが、まずまず調子はよかった。しかし、原告は、交差点でもなく、信号機もないところ、もうろう状態でふらふらと横断したり、電車に乗った際、気分が悪くなったりした。また、同年六月初め一人で外出した際、駅のホームから落ちるということもあった。このときには、自力で上に上がることはできたが、落ちたときの様子やどのように上に上がったかは記憶がなかった。また、不眠が続き、イライラし、両親に出ていけといって、あたっていた。実父は、自分がいては、娘がよくならないのでないかと思い、同年六月五日家を出、以後行方がわからなくなった。同月一三日には頭痛、嘔吐、不眠が強まり、自分はガンではないか、安楽死させて欲しいと口走った。原告が騒ぎだしたので、春子は原告を救急医療センターに連れていった。原告は、そこで薬をもらうと一旦は安心し、死んだ夫のAの実家に行った。しかし、実家から帰宅し、午後一二時ころに、再度、不眠、激しい頭痛、吐気を訴え、救急医療センターでもらった薬を飲んでも落ちつかないので、春子に付き添われて、横浜南共済病院に行った。

(13) 原告は、同月一四日午前〇時ころ外来で診察を受けた際、看護婦の目を盗んで、横浜南共済病院の外来棟の二階の階段から飛び下り、手術室前に上半身裸で倒れているところを発見された。このときの原告の精神状態は不穏で、「死なせて―」と叫び、もうろう状態で暴言を吐いていた。原告はこの飛び下りたことで左脛骨骨折の傷害を受けた。そして、急性錯乱状態のため、同日緊急入院となった(この入院は第八回入院に該当する。)。この第八回入院の際の看護抄録(乙第三七号証の一)には、看護上の問題として仰臥位安静を強いられるためストレスが貯まりやすいと記載されている。なお、原告は、入院になったと聞いて駆けつけた春子に対し、「お母さんがいなくなったので、探しに歩いていて落ちたらしいの。でも、どこからどうして落ちたのかは覚えていない。」と話し、はっきりした記憶がなかった。第八回入院後不安感からナースコールを繰り返した。

(14) 原告は、同日正岡医師に、心因反応・左脛骨骨折により同日より入院中であるが、同日から同年九月一三日まで向こう三か月間入院加療を要すると診断された。

(15) 入院後は、希死念慮が見られる等精神状態が不穏なこともあったが、薬物療法は、精神療法により症状が改善し、精神的にも安定したため、同年七月一日左脛骨骨折の治療のため整形外科に転科になった。

(16) 原告は、左脛骨骨折の治療を受け、同年九月二九日横浜南共済病院整形外科を退院したが、その後も、症状が再燃し、精神不穏があるため、神経科に転科となり、横浜南共済病院神経科に入院した(この入院は第九回入院に該当する。)。

(17) 原告は、第九回入院から退院した後も、元気がなく、手足の爪を血が滲むくらい爪楊枝でつつくといった自虐行為に及んだり、不眠を訴えたり、些細なことから喧嘩したりした。まだ、希死念慮も続いていた。この間、同年五月二八日には、横浜南共済病院で処方を受けた薬を一度に一〇〇錠以上も飲み、そのため、第一〇回入院をすることになった。

(18) 原告は、平成六年一月一三日になっても、横浜南共済病院に心因反応で通院加療中であり、常時育児に携わるのは困難な状況だった。心因反応で通院加療を要する状態は、平成七年一一月九日になっても変わらず、不眠、不安、焦燥感が強かった。自分がしたことについての記憶が欠落していることもあり、正岡医師から強い薬を飲むので、せんもう状態であるといわれた。

(19) 鑑定人が、原告に面接したところ、異常行動を繰り返したことの記憶は欠如しており、健忘がみられるが、それ以外の記憶は比較的よく保たれていた。面接時に「事故によってこういう体になってしまった」と述べたときは、涙をこぼして、くやしさ、辛さをあらわに示した。

(20) また、同じく、鑑定の際、原告は鑑定人に対し、本件事故の体験について、「急ブレーキの瞬間、車がクルッとスピンして、目の前に木が迫って、ダッシュボードにガンとぶつかって、体がガクッときたのがわかった。その後、足が動かなくなってしまった。助手席から出られず、引っ張られて逆のドアから出された」と語り、前記(8)の手術について「痛くて、寝返りうてなくて、自分の身体じゃないみたいで、痛みがなくて、寝たきりの方がいいとまで思った。痛みが苦痛になって、苦痛が全部身体にきて、それから、気が狂いそうになるまで、イヤだなと思うようになった」「腰の手術をしてからおかしくなった。眠れないし、動けないし、いろんなことを考えてしまった。痛みも強くてイライラして、息が荒くなった。いろいろ考えると頭痛がするようになった。こういう身体になって、何一つするにも、ついていけない。人間失格とか考える。そうするとイライラする。こういう身体になったから、事故のこと思い出す。思い出したくもないのに、思い出して一人で沈んでしまう」と述べた。

なお、被告は、本人尋問において、被告が原告に最後に会ったのは昭和六二年一〇月であるが、そのときは普通に歩いて、普通に生活していた、その後は電話がかかってきただけであるが、結婚したり、子供が生まれたりして、原告の印象は明るい様子だったと供述しているが、右供述は、証拠によって認定できる以上の事実に照らし、信用できない。

(二) 心的外傷ストレス障害

甲第二六、二八号証、第二九号証の二、第三〇号証の二及び証人中野幹三の証言によれば、以下の事実が認められる。

(1)  人が死に脅かされるような強烈な恐怖体験をした後に、様々な心身の不調を来すという現象が前世紀の終わりくらいから徐々に注目され始めていて、戦争神経症、外傷性神経症と呼ばれてきていた。それが、ベトナム戦争の帰還兵に非常に強い精神障害があったということ等から、心的外傷ストレス障害が一九八〇年にアメリカの精神医学会の診断基準において確立された。心的外傷後ストレス障害は、天災や戦争、大規模な犯罪に限らず、交通事故による発症があることが最近注目されるようになった。

(2)  世界保健機関の診断基準(ICD―10)によれば、心的外傷後ストレス障害は、A.患者は、例外的に脅威的なあるいは破滅的な性質をもったストレスの多い出来事あるいは情況(短期間あるいは長期間持続するもの)にさらされたに違いない、そして、そのような出来事や情況はほとんど誰にでもつきまとうような抑うつ状態を引き起こす可能性がある、B.ストレッサー(ストレスの原因のこと)に類似するあるいは関係する情況にさらされた場合において、不意の「フラッシュバック」、鮮明な記憶あるいは何度も見る夢もしくは抑うつ状態を経験する時、ストレッサーの執拗な想起あるいは再験が必ず存在する、C.患者は、ストレッサーに類似するあるいは関係する情況を実際に回避する、あるいは回避することを選択したがっているのが一般である、しかし、その様子はストレッサーにさらされる以前にはあらわれなかったものである、D.普通、次にあげる状態のいずれかがあらわれる、(1)局部的にあるいは完全に、ストレッサーにさらされたときのある重要な局面を呼び起こすことができない、(2)心理学的な敏感度と覚醒が増大するという徴候が持続する(それはストレッサーにさらされる前はあらわれていなかったものである)、その徴候は次にあげるもののうちのどれか二つにより示される、a不眠もしくは睡眠障害bいらつきもしくは怒りの爆発c集中力の低下d過剰な覚醒e強い驚愕反応、E.B・C・Dのような状態は、ストレスの多い出来事、もくしはストレスのあった期間の終期から六か月以内にすべてあらわれる(六か月以上遅れた発症を包含することもあり得るが、その症状を特定しなければならない。)というものである。

(3)  心的外傷後ストレス障害では、患者は、外傷体験を思い出したくないのに思い出してしまい、自我が脅かされることになるため、苦痛な外傷体験に触れることを回避しようとするのが特徴的であって、自発的に外傷の想起や悪夢について語りたがらないことが多い。

(4)  心的外傷後ストレス障害の原因においては、外傷体験が決定的な意義を与えるものであり、性格要因や外傷体験以後に生じた二次的ストレスは副次的なものとみるのが定説である。

(三) 鑑定の結果

鑑定人は、原告との面接や心理テストの結果等をもとに、原告の精神障害は、交通事故の外傷体験によって引き起こされた重症の心的外傷後ストレス障害である、原告は、抑うつ状態と解離状態の中で、自殺企図、自傷行為を繰り返しており、外出などの日常の行動にも危険を伴い、常に人の援助と保護を必要とし、簡単な家事以外の労務には従事出来ないものと考えられると鑑定した。

3  検討

(一)  前記2で認定した事実によれば、原告は、本件事故により死の恐怖感を体験したものと認められること、原告が第五回入院から退院した後に示した精神症状及び異常行動は、心的外傷後ストレス障害のDSM―Ⅳ及びICD―10の診断基準を満たしていると判断できること、原告の心的外傷後ストレス障害の具体的な発症は、本件事故から五年以上経過してからのものであるが、自我を脅かさないようにするため外傷体験である本件事故を想起することを心理的に回避していたため、発症が遅延したことは十分にあり得ること並びに発症直前の手術は本件事故により傷害を負った腰部の腰椎前方固定術の手術であって、その拘禁状態等は本件事故を原告に想起させるに足りるものだったため、原告は、本件事故を再体験するようになったことが認められ、これらの事実からすると、原告の精神障害を交通事故の外傷体験によって引き起こされた重症の心的外傷ストレス障害であるという鑑定の結果は信用性があるものと認められる(なお、鑑定人作成の精神鑑定書には、原告は本件事故の後から心的外傷後ストレス障害の発症をうかがわせる体験をしていたような記載がある。ところで、証人中野幹三の証言によれば、鑑定人である同人は、臨床の精神科医で、心的外傷後ストレス障害の領域に関心をもって研究してきており、交通事故により心的外傷後ストレス障害を発症した患者を診察したことが認められる。原告の事故後の体験は、このような鑑定人の面接によって初めてわかり、他の証拠に何ら表われないということは、心的外傷後ストレス障害では、患者は苦痛な外傷体験に触れることを回避しようとすることを考えると、不思議なことではない。)。

(二)  したがって、原告の精神的不安定は本件事故の外傷体験によって引き起こされた重症の心的外傷後ストレス障害であると認められる。

そして、前記2の事実によれば、原告が平成四年六月一四日受傷した左脛骨骨折の傷害は、心的外傷後ストレス障害による錯乱状態により生じたものと認められるから、原告の腰椎脱臼骨折、左下腿骨骨折及び左腓骨神経麻痺の傷害だけではなく、前記左脛骨骨折の治療のための入通院も本件事故と因果関係があり、結局、本件事故と因果関係がある治療は、第一回入院から第六回入院及び第八回入院のうち、整形外科に入院したもの並びに第一回通院から第六回通院のうち、整形外科に通院したものであると認められる。

4  被告の意見書

(一) 被告の意見書

被告は、原告の精神障害を惹起した要因としては、1事故及びそれに伴う身体障害、2夫、兄との死別や、育児及び将来に対する環境的要因、3原告の未熟で依存的で、衝動行為に短絡しやすい性格傾向が関与している、原告の横浜南共済病院の神経科の診療録には事故場面の想起や悪夢に関する訴えは認められない、鑑定の結果は、事故による外傷体験を精神障害の主たる原因と考えていて、家族との死別、育児や将来に対する不安という環境的要因及び原告の性格的要因を軽視していること、精神的変調をきたした時点(事故から五年後)の診療録、看護記録の内容は、環境的要因が強い影響を与えたことを示唆しているにもかかわらずそれを全く採用せず、鑑定時の原告の追想のみに依拠した判断を行っていることが問題である、精神障害に対する事故の寄与率は、三〇パーセントと概算されるという意見書(乙第一一三号証)を提出している。また、本件事故の場合には、その程度からして死の恐怖をもたらすものであったとはいい難く、世界保健機関の診断基準(ICD―10)の基準に該当しない、すなわち心的外傷後ストレス障害と診断すること自体不自然である、同じく前記診断基準によれば、回想、白日夢、あるいは夢における出来事の反復的、侵入的な回想あるいは再現が診断に必要であるが、原告にはこうした症状が全く認められない、また、前記診断基準の心的外傷後ストレス障害の診断ガイドラインによれば、「例外的に強い外傷的出来事から六か月以内に起きたという証拠がなければ、一般にはこの診断を下すべきではない」と記載されているが、本件の場合には、事故から約五年が経過しており、しかも明らかな体験の回想を欠くことから、症状から判断しても心的外傷後ストレス障害に典型的でない、前記診断基準の破局的体験後の持続的人格変化の項の解説によれば、自動車事故の様な外傷体験後に生じる人格変化には、本人自身の性格的要因を考慮すべきである、交通事故の関与が強いと主張するのは明らかに恣意的であるといわざるを得ない、横浜南共済病院の実際に診療していた担当医が事故や手術の要因に重要性を感じていなかったために、これらの要因が診療録に記載されなかった可能性を考慮すべきである等の指摘をした意見書(乙第一一四号証)も提出している。

(二) 被告の意見書の前提に対する疑問

しかし、前記意見書の見解は、心的外傷後ストレス障害が、外傷体験が決定的な意義を与えるものであり、性格要因や外傷体験以後に生じた二次的ストレスは副次的なものであることを看過している点で妥当ではない。

また、被告が提出した意見書の本件事故の場合には、その程度からして死の恐怖をもたらすものであったとはいい難いとの点は、前記2で認定した事実から採用しがたく、破局的体験後の持続的人格変化に性格的要因が関与していることを指摘している点も、原告の精神障害は破局的体験後の持続的人格変化でないので失当である。

(三) 診療録の記載

原告の横浜南共済病院の神経科の診療録には事故場面の想起や悪夢に関する訴えは認められないとの点についても、甲第二五号証の一、第二六、二七号証及び証人中野幹三の証言により認められる、①心的外傷後ストレス障害では、苦痛な外傷体験に触れることを回避しようとするので、診療録上このような記載がないのは原告が傷ついた体験に触れることを回避しようとしたことが反映されたものと考えられること、②それでも平成六年二月二四日の外来診療録には「電車に乗ると気持ちが悪くなる」と記載され、同年一一月二四日には「電車に乗れない」と記載されていること及び③正岡医師作成の病状報告書(甲第二五号証の一)からは、正岡医師が、原告を心的外傷後ストレス障害の可能性があることを視野にいれた診療をしたことはうかがわれないこと及び④原告は、鑑定人の面接の際、本件事故についての気持ちを主治医に聞いてもらえなかったと語ったことからすれば、診療録上事故の場面や悪夢に関する訴えが認められないことから、横浜南共済病院に受診していた際、これらの症状がなかったということはできないので、診療録の記載は前記3の判断を覆す事情にはならない。

(四) 性格的要因の寄与

(1) 乙第三七号証の一、第五二号証の二、第六四号証、第七六号証の二、第八四号証の六、第一〇四号証の三、第一〇五号証の七、第一〇八号証の一及び鑑定の結果によれば、①横浜南共済病院の第八回入院の際の看護抄録(乙第三七号証の一)には、原告の看護上の問題として、感情失禁しやすい、話をよく聞き、気持ちを理解するよう努める、依頼心が強く、忍耐力に欠ける面がある、年齢の割に幼い感じがする等の記載があること、②第九回入院の際の看護抄録(乙第一〇八号証の一)には、入院後の状態は不安定で、病院の規則は守らず、治療者、看護者に対して、依存的な態度をとることが多かった、夕、外泊時、救急車で病院に戻ってくるなど自己抑制能力の欠如がうかがわれるため、平成五年一月一八日行動制限療法をとり入れる、しかし、患者は他患と飲酒に耽るなど問題行動目に余るため、正したところ、自己退院したいと強く訴えるため、一月三〇日退院としたという記載があること、③看護記録には、原告の性格について、わがままな感じ、短気、気分の浮き沈みがある、割りと泣き虫という記載があること、④鑑定人の面接の際の質問には素直に答えたが、年令よりは幼く感じられる話し方で、ぼんやりした印象を与え、元気がなく、抑うつ的だったことが認められたこと及び⑤鑑定の際には実施されたロールシャッハテストの結果には原告の性格的特徴として自我の弱さ、内省力の欠如、衝動性などが示されたことが認められる。

(2) 他方、甲第二二、二六、二七号証、乙第一〇五号証の八、鑑定の結果並びに証人中野幹三及び同甲野春子の証言によれば、①ロールシャッハテストは鑑定時の原告の性格特徴をとらえているに過ぎず、この性格特徴は、心的外傷後ストレス障害の一つの症状であると認められること、②原告の父親は真面目すぎるところのある性格で、原告の躾には厳しかったこと、③母親には優しく育てられたこと、④幼時の発育は順調で、歩行開始は一年未満、言語の発達も早い方で、大きな病気は全くせず、健康だったこと、⑤小学校時代には、卓球等のスポーツをよくしたが、勉強は好きではなく、成績はあまりよくなかったこと、⑥原告は、学生時代スポーツが得意で、選手に選ばれたことも多かったこと及び⑦体を動かすことが好きで、競技大会では負けず嫌いで活発なところが目立ったが、反面人間関係では自己主張をどんどんするというより、おとなしく、遠慮がちなところもあったことが認められる。

(3)  (1)のような原告の心的外傷後ストレス障害に対する性格的要因の影響を推認させる事実の存在は認められるものの、②の事実は原告に性格的な問題がないこと及び原告の現在の性格は心的外傷後ストレス障害の影響を受けたものであることを推認させる事実だから、結局、原告の心的外傷後ストレス障害に性格的要因が寄与したことを認めるに足りる具体的な事実は認められないことになり、原告の心的外傷後ストレス障害に影響を与えるような性格的要因が副次的にも存在したことは認められない。

(五) 環境的要因

(1) 前記2(一)(5)、(7)及び(12)のとおり、原告はAと婚姻したが、Aは肺癌で平成三年四月九日死亡した。また、原告のことを心配していた実父甲野太郎が、自分がいては娘がよくならないのではないかといって、平成四年六月五日家を出、行方がわからなくなった。

(2) また、乙第三二号証、第八五号証の二、三、第一〇五号証の三、第一〇五号証の八、一一、第一〇六号証の七、第一一〇号証の三七、四三によれば、①原告の兄Cは、平成元年四月三〇日頭部外傷及び心不全により死亡したこと、②原告には生まれて一五日程で感染症で死亡した兄Dがいたこと、③第六回入院の際の看護抄録(乙第八五号証の二)には、入院中の経過欄に第五回入院から退院した後、倦怠感出現し、育児新居のことで悩んでいた、五月五日子供のいたずらに怒るなど普段見られない言動ありと記載されており、第七回入院の際の看護記録(乙第一〇五号証の八)には、夫は肺ガンで死去(本人一九才で結婚)、平成四年四月二五日退院後より倦怠感出現、育児、新居のことで悩んでいた、五月五日子供のいたずらに怒るなど普段見られない言葉ありという記載があり、第八回入院の際の看護記録の生活史と入院前の状態の欄(乙第一一〇号証の三七)には、平成四年六月中旬頃役所への児童福祉の件や住所移動の件等で出かけ、疲れぎみだった、すべて中途半端になっている、大阪に結婚する相手がいるが、彼も彼の両親ものりきで早く大阪に来てくれるのを待っている、このごろ本人は、大阪いかず、ここにいるといっていたと母親より聴取したという記載があること④第七回入院の際の入院診療録(乙第一〇五号証の三)には、入院経過として、平成三年四月夫が肺ガンで死亡、幼い子供を抱え、将来に不安、亡夫の両親とのトラブルがあり、心身ともに疲れ切っていたという記載があること、⑤第七回入院の際の看護記録(乙第一〇五号証の一一)には、原告が、いろいろな事を考えてしまい、夜はいつも眠れない、母にも迷惑をかけたりしているし、子供もおじいちゃんにみてもらったりしていて、会ってもなついてはくれない、相談できる夫を早く亡し、私は本当に治るんでしょうか、先生は三か月ぐらいとおっしゃったけど、不安なんです、精神的に落ち着けば大丈夫といってくれましたと話したことが記録され、同じく第七回入院の際の入院抄録(乙第一〇六号証の七)の現症経過欄には、第五回入院から退院した後、育児、新居のことなどで悩み、しだいに情動不安定に、平成四年五月五日子供のいたずらに声を荒げて怒るという記載があること、⑥第八回入院の際の看護記録(乙第一一〇号証の四三)には、原告が、子どもがかわいそう、子どもがいなかったら、こんなでもいいんだけど、私だんながいないんです、死んで、その時のこととてもショックで、いろいろなショックなことがあって、つらくてと涙を流しながら話したという記載があることが認められる。

(3) 他方、甲第二七号証及び鑑定の結果によれば、①ICD―10によれば、死別反応であれば、死別というできごとから一か月以内に発症すると記載されているが、原告の場合死別から一年後になって発症しており、整合的ではないこと、②原告は、鑑定人に対し、悪化する腰痛に悩まされながら、夫の看病と育児におわれる生活は大変なもので、夫の死によってほっとした面があると述べ、育児のストレスや夫や兄との死別については、面接の中で余り動揺を示さなかったこと及び④ロールシャッハテストにおいて固着しているイメージは、「足」「鋏」という手術とその原因としての事故を連想させるものであり、子供の負担感や夫の喪失感と関連するものではないことが認められる。

(4)  前記(1)及び(2)の事実は原告の心的外傷後ストレス障害に環境的な要因の寄与があったことを推認させる事実であり、看護抄録や看護記録等に環境的要因に関する原告の訴えが多いことからすれば、環境的な要因の寄与を無視することはできない。

しかし、前記(3)の事実に、原告の発症は第五回入院を退院してから後であるが、環境的要因を重視すると、この発症時期について合理的な説明がつかないこと、看護記録等の記載は原告の一般的な不安についての記載に過ぎず、発症することを合理的に説明できるような具体的な事実の記載に欠けていること及び前記2(二)(4)のとおり、そもそも心的外傷後ストレス障害にとって外傷体験以後に生じた二次的ストレスは副次的なものであることを考えると、原告の心的外傷ストレス障害に対する環境的要因の寄与は二次的なものにとどまると認められる。

5  他の後遺障害

(一) 甲第三号証の後遺障害診断書には、以下の記載がある。

原告の傷病名は、①腰椎脱臼骨折、②頸椎捻挫、③左下腿骨骨折及び④左腓骨神経麻痺である。症状固定と判断されたのは平成五年七月一二日で自覚症状は、腰痛があり、可動時痛著明、側臥位、伏臥位でも疼痛あり、亀背を認める、左下肢筋力低下、左下肢知覚障害、左足関節の可動域減少、創痕著明というものである。

他覚症状等は、以下のとおりである。

① 頸椎

疼痛はないが、可動域の制限をみる、右肩が上がっている、肩甲上神経部の圧痛、硬結を認める。

② 背部

手術創痕を認め、脊椎の不撓性あり、又亀背を認める。創部周囲の知覚障害(退出している)あり

③ 腰椎

後屈 3度 左側屈 10度 左回旋18度

前屈 10度 右側屈 12度 右回旋12度

と可動域に著明な制限を認める。又可動時の疼痛あり

ラーヤック徴候 右 70度 左 65度

膝蓋反射 右↑左↑

アキレス腱反射 右↑左低下著明

〈筋力〉

前頸骨筋    右 正 左 正

長母趾伸筋   右 正 左 やや低下

総趾伸筋    右 正 左 やや低下

中臀筋・大臀筋 右 正 左 やや低下

腸腰筋     正

大腿四頭筋   正

外転筋     正

④ 足関節(骨折のため)可動域制限あり、左側は変形、腫脹あり。左下肢全体の知覚障害あり。全体に左下肢筋力低下あり。歩行障害あり。

⑤ 左下肢の反射、筋力低下、知覚障害より神経症状を認める。

⑥ 下腿周径 右 三五センチメートル、左 三三センチメートル

大腿周径 右 四七センチメートル、左 四五センチメートル

筋萎縮あり

⑦ 醜状障害は、左下肢に長さ六センチメートル、2.5センチメートル、三センチメートル、七センチメートル、二センチメートル、背部に長さ22.5センチメートル、腰部に五センチメートルの創痕がある。

⑧ 脊柱の障害は、第一腰椎、第二腰椎に圧迫骨折を認め、手術施行している、亀背あり

頸稚部

前屈 正常 後屈 正常

右屈 28度 左屈 10度

右回旋 75度 左回旋 45度

腰痛のため、常時コルセット装用必要

⑨上肢・下肢及び手指・足指の障害

長管骨は変形癒合、足関節部の関節内の変形骨折による関節機能障害

関節名   他動   自動

右  左  右  左

足 背屈 30度 12度 28度 10度

底屈 45度 40度 38度 30度

股 外旋 45度 28度

内旋 80度 80度

外転 43度 45度

内転 32度 30度

屈曲 115度 120度

⑩ 事故により腰椎前方固定による可動域の制限や神経症状及び左下腿の骨折による足関節の症状の現存により、重労働及び長時間の就学は不可能である。又、事故によりかなりの精神的障害も受けたものと考える。

⑪ 事故に関係あり、緩解の見通しはない。

(二) 被告も、原告の後遺障害については、自動車損害賠償法施行令の等級第六級に該当するという限度で認めており、その主張の趣旨から本件事故により腰椎脱臼骨折、左下腿骨骨折及び左腓骨神経麻痺の傷害から生じた後遺障害の限度では争いがないと認められる。

ところで、被告は、後遺障害診断書が、本件事故と無関係である原告の精神的不安による神経症状や平成四年六月一四日原告が階段を飛び下りたことにより受傷した骨折等も渾然一体として記載しており、その結果、これら全ての症状を前提とした症状固定日を平成五年七月一二日としているもので、その信用性を争うと主張している。

しかし、前記3(二)のとおり、原告の精神的不安定は本件事故の外傷体験によって引き起こされた重症の心的外傷後ストレス障害と認められ、平成四年六月一四日受傷した左脛骨骨折の傷害は、心的外傷後ストレス障害による錯乱状態により生じたものと認められるから、いずれも本件事故と因果関係があるものと認められる。

その他、甲第六ないし一九、乙第一ないし三号証、第四号証の一、第五号証の一、第六ないし一四号証、第八三号証の二、第八六号証の一、二、四、第八八、九三号証により認められる原告に対する治療経過、診断書等の診断、後遺障害診断書とは別に平成五年七月一二日診断、同日作成の横浜南共済病院の自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(乙第九三号証)の記載内容に照らしても、後遺障害診断書の記載に疑いを差し挟むべき事情は認められない。

したがって、原告の後遺障害は後遺障害診断書記載のとおりと認められる。

6  後遺障害の等級

後遺障害の等級は被告も認める第六級の他、原告の外傷後ストレス障害による後遺障害は、前記2(三)の鑑定の結果によれば、外出などの日常の行動にも危険を伴い、常に人の援助と保護を必要とし、簡単な家事以外の労務には従事出来ないものと考えられるものであるから、その等級は第七級の神経系統の機能又は精神に障害を残し軽易な労務以外の労務に服することができないものに該当する。したがって、原告の後遺障害の等級は併合して第四級に相当するものと判断できる。

三  原告の損害(争点3)について

1  治療費関係

五一七万二二七八円

(一) 入通院治療費

四二二万六六二〇円

乙第一五から二八号証によれば、第五回入院までの入院治療費は三二四万九四六〇円であることが認められる。ところで、入通院治療費の総額が四四七万〇九一〇円であることは、前記第二の一4(三)のとおり、当事者間に争いがないが、この総額と前記第五回入院までの入院治療費との差額一二二万一四五〇円は、心的外傷後ストレス障害の結果、平成四年六月一四日飛び下りたことにより原告が受傷した左下腿骨骨折等の治療費であると認められる。

ところで、前記二4(五)で判断したように、原告の心的外傷後ストレス障害は二次的ながら原告の環境的要因が寄与していることが認められ、当事者間の損害の公平な負担をはかる過失相殺の立法趣旨からすれば、この分について一定の割合で控除するのが相当である。右割合は、環境的要因があくまでも二次的であることからすれば、二割が妥当である。

以上からすると、心的外傷後ストレス障害の結果生じた入通院治療費は以下のとおり、九七万七一六〇円となる。

122万1450円×(1−0.2)=97万7160円

すると、入通院治療費は、前記第五回入院までの入院治療費三二四万九四六〇円とこの九七万七一六〇円の合計額四二二万六六二〇円であると認められる。

(二) 入院雑費四一万三〇四〇円

入院雑費は一日につき一二〇〇円が相当である。

入院日数は、前記第二の一4(一)(1)ないし(5)のとおり、第一回入院から第五回入院までは合計二六五日間である。また、第六回入院及び第八回入院のうち、整形外科に入院したものに対応する入院日数は、同(6)及び(8)のとおり九九日間であるが、この分については、前記(一)の趣旨から二割控除するのが相当である。

以上をもとに入院雑費を計算すると、以下のとおり四一万三〇四〇円となる。

1200円×265日+1200円×99日×(1−0.2)=41万3040円

(三) 入院付添看護料

四〇万五〇〇〇円

証人甲野春子の証言によれば、春子は医師から原告に付き添うようにいわれたことが認められる。また、前記第二の一3の腰椎脱臼骨折、左下腿骨骨折及び左腓骨神経麻痺の傷害からすれば、付添は必要だったものと認められる。

原告は入院期間中九〇日付き添ったと主張しているが、第一回入院及び第二回入院に付き添うことは必要だったので、右入院の期間内の九〇日に付き添ったものとして、付添看護料を計算すると、入院付添看護料は一日につき四五〇〇円が相当であるから、以下のとおり四〇万五〇〇〇円になる。

四五〇〇円×九〇日=四〇万五〇〇〇円

(四) 通院付添看護料

六万八五〇〇円

証人甲野春子の証言によれば、春子の証人尋問が行われた平成一〇年一月二六日当時においても、原告の通院の際に春子が付き添うことがあること、退院した後の通院にほとんど付き添っていたことが認められ、また、原告が前記二2(一)(12)のように原告が平成四年六月一四日飛び下りたときには春子が付き添って原告を横浜南共済病院に連れて行っていた上、原告の前記第二の一3の傷害及び前記二3(二)のとおり、原告の精神障害は心的外傷後ストレス障害だったことを考慮すると、通院には付添が必要だったことが認められる。

なお、第一回通院及び第二回通院と第三回通院の際の二日の通院付添費は一日につき二〇〇〇円、第三回通院の際の一日と第四回通院から第六回通院の際の一日の通院付添費は一日につき二五〇〇円が相当である。

また、通院実日数は、第一回通院及び第二回通院について、前記第二の一4(二)(1)及び(2)のとおり、二〇日間、第三回通院については、同(3)のとおり、三日間、また、第四回通院から第六回通院の整形外科に通院した分について、同(4)ないし(6)のとおり、一一日間である(なお、入院中の通院は付添の必要があるものとは認められない。)。そして、第四回通院から第六回通院については、環境的要因の寄与が認められるので、前記(一)と同様な趣旨からその費用の二割を控除するのが相当である。

以上をもとに入院雑費を計算すると、以下のとおり四一万三〇四〇円となる。

2000円×22日+2500円+2500円×11日×(1−0.2)=6万8500円

(五) 胸椎装具 三万四九五〇円

原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、コルセットを毎日装着するようにいわれているので、原告本人尋問が行われた平成一〇年一月二六日当時もコルセットを装着していたことが認められ、後遺障害診断書においても、腰痛のため、常時コルセット装用が必要とされていること及び右装具の代金は三万四九五〇円であることが認められる。

なお、被告は胸椎装具について国民健康保険により二万四四五六円が支給されており、残額の一万〇四八五円についても支払済みであると主張するが、この事実を認めるに足りる証拠はない。

(六) 交通費 二万四一六八円

弁論の全趣旨によれば、横浜南共済病院への原告と春子の往復電車賃は通院一回につき七六〇円であることが認められる。

春子の付添が必要だったこと及び通院実日数は、前記(四)のとおりである。また、前記(一)と同様な趣旨から第四回通院から第六回通院についてはその費用の二割を控除するのが相当である。

以上をもとに交通費を計算すると、以下のとおり二万四一六八円となる。

760円×23日+760円×11日×(1−0.2)=2万4168円

(七) 小計 五一七万二二七八円

2  休業損害

一三二三万一三〇七円

原告が、本件事故当時、満一八歳で、高校三年生に在学中だったことは当事者間に争いがない。

したがって、本件事故がなければ、原告は、高校卒業後の昭和六二年四月一日から就労したものと認められる(なお、証人甲野春子は、原告は短期大学に進学することを希望していたと供述するが、原告が短期大学に進学した蓋然性があることを認めるに足りる証拠はない。)。また、原告は、前記二2において認定した事実によれば、原告は平成元年四月一八日結婚したものの、家事労働を含め、就労したと考えられる昭和六二年四月一日から症状固定日の平成五年七月一二日まで就労することは不可能だったものと認められる。

以上の事実をもとに、賃金センサス第一表中、産業計・企業規模計・女子労働者・旧中・新高卒の表によって計算すると、原告の休業損害は以下のとおりになる。

(一) 昭和六二年四月一日から昭和六三年三月三一日まで

一六二万三二〇〇円

(二) 昭和六三年四月一日から平成元年三月三一日まで

一六六万八〇〇〇円

(三) 平成元年四月一日から平成二年三月三一日まで

二二八万一〇〇〇円

(四) 平成二年四月一日から平成三年三月三一日まで

二三九万三三〇〇円

(五) 平成三年四月一日から平成四年三月三一日まで

二五二万四五〇〇円

(六) 平成四年四月一日から同年四月二五日まで

二六二万八一〇〇円×二五日÷三六六日=一七万九五一五円

(七) 平成四年四月二六日から平成五年三月三一日まで

二六二万八一〇〇円×二五〇日÷三六六日+二六二万八一〇〇円×九〇日÷三六五日=二四四万三一七四円

(八) 平成五年四月一日から平成五年七月一二日(症状固定時)まで

七五万九〇六七円

二六八万九九〇〇円×一〇三日÷三六五日=七五万九〇六七円

ところで、前記1(一)と同様な趣旨から環境的要因の寄与が認められる原告に心的外傷後ストレス障害が発症した平成四年四月二六日以後の分については、その二割を控除する。

(九) (244万3174円+75万9067円)×(1−0.2)=256万1792円

(一)ないし(六)と(九)を足したものは一三二三万一三〇七円になる。

3  逸失利益

三九〇七万九一〇三円

前記二6のとおり、原告の後遺障害の等級は併合して第四級であると認められる。

そこで、以下のとおり、原告の逸失利益を計算する。

自動車損害賠償法施行令の後遺障害の等級第四級の労働能力喪失率九二パーセント

症状固定時(平成五年七月一二日)から六七歳までの稼働年数は四三年間(ライプニッツ係数17.546)

症状固定時である平成五年度の賃金センサス高卒女子平均賃金年二六八万九九〇〇

268万9900円×0.92×17.546=4342万1226円

ただし、前記二4(五)で判断したように、本件事故の後遺障害である原告の心的外傷後ストレス障害は二次的ながら環境的要因が寄与しており、この寄与は逸失利益全体について認められるので、前記1(一)と同様な趣旨から右逸失利益全体の金額から一割控除するのが相当である。

したがって、逸失利益は、以下のとおり、三九〇七万九一〇三円となる。

4342万1226円×(11−0.1)=3907万9103円

4  慰謝料 一六六五万円

(一) 入通院分 二七〇万円

原告の入通院期間は、前記第二の一4のとおりであり、第一回入院から第六回入院及び第八回入院のうち、整形外科に入院したものの入院日数は合計三六四日であり、第一回通院から第六回通院の整形外科に通院した実日数は三四日である。また、入通院期間は昭和六二年一月一四日から症状固定日である平成五年七月一二日まで六年半に及んでいる。以上のことを考えると、入通院慰謝料は三〇〇万円が相当である。

ところで、前記3と同様に、心的外傷後ストレス障害については環境的要因が寄与しており、入通院の慰謝料の算定にもこの点を考慮する必要があると認められるので、右金額全体から一割控除するのが相当である。

したがって、入通院慰謝料は、以下のとおり、二七〇万円になる。

300万円×(1−0.1)=270万円

(二) 後遺障害分 一三九五万円

前記二6のとおり、原告の後遺障害の等級は併合して第四級であり、これに相当する慰謝料は一五五〇万円である。

ところで、後遺障害の慰謝料についても、前記(一)と同様な理由により、その一割を控除するのが相当である。

したがって、後遺障害の慰謝料は、以下のとおり、一三九五万円になる。

1550万円×(1−0.1)=1390万円

(三) 小計 一六六五万円

5  損害合計

七四一三万二六八八円

四  過失相殺及び好意同乗(争点4)について

1  甲第一一六、一一七号証並びに原告及び被告本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められる。

(一) 原告と被告は、本件事故の三年程前に知り合い、本件事故のときまでほぼ毎日つきあっていた。被告が、本件車両を買ってからは、一緒にドライブすることが増えた。

なお、原告の両親は、原告の帰宅が遅いことに不満を持っていた。

(二) 原告と被告は、口げんかすることはしょっちゅうあり、原告は口げんかのときにはいい返してくることがあった。

(三) 本件事故が発生した日の前日である昭和六二年一月一三日の夕方被告がアルバイト先のガソリンスタンドに出勤するために自宅近くの駐車場まで行ったところ、そこに原告が立っていて、被告に話があるといった。それで、被告はアルバイトに行くのを取りやめ、原告を本件車両に乗せて出かけた。

(四) 前記第二の一2(三)のとおり、原告と被告はファミーリレストランを出たが、このとき原告は特に嫌がる様子もなく、本件車両の助手席に乗り込んできた。

(五) 原告は、被告と口げんかになり被告に降りろといわれたが、所持金がなく、午前一時ころに降ろされても、場所がどこか分からず、電車も動いていないので、降りなかった。

(六) 原告も被告も、本件事故の際、シートベルトを装着していなかった。

(七) 原告は、本件事故で取調べを受けたことはないし、刑事処分も行政処分もなかった。

2 以上認定した事実に、前記第二の一1(三)の事実及び同2の事実並びに前記一1において認定した事実を総合すると、本件事故の発生には、原告の行為が寄与しており、口げんかして、原告の体をたたきながら被告が運転していることを認容しながら、原告は本件車両の助手席に乗車していたのだから、損失の公平な負担の観点からすると、過失相殺又は好意同乗による減額として、原告の損害額から三割を控除するのが相当である。

すると、原告の損害額は、以下のとおり、五一八九万二八八一円となる。

7413万2688円×(1−0.3)=5189万2881円

3  原告本人尋問の結果によれば、本件事故の際、原告と被告が口げんかになった後、原告が帰るから帰してくれといったところ、被告は車で送るといったが、原告の自宅と逆の方に本件車両を進行したことが認められるが、この事実だけでは、前記2の判断を覆すに足りない。

五  前記第二の一5のとおり、原告は、被告から四七四万八二〇一円の支払を受けたので、これを前記四2の五一八九万二八八一円に充当すると、過失相殺後の損害額は四七一四万四六八〇円になる。

なお、被告は、自家用自動車保険の搭乗者保険から、搭乗者保険金として支払われた四〇六万二五〇〇円を損害の填補として控除すべきである旨主張するが、搭乗者保険の保険金は、被害者の損害を填補する性質のものではないから、これを損益相殺の対象とすることはできない。

六  弁護士費用

四七一万四四六八円

原告が、本件損害賠償請求訴訟事件の訴えの提起、訴訟の遂行等を原告訴訟代理人に委任したことは、弁論の全趣旨により認められる。

弁護士費用は、認容額である前記五の四七一四万四六八〇円の一割である四七一万四四六八円が本件事故と因果関係にある損害である。

七  損害の総合計

五一八五万九一四八円

以上のとおりであるから、損害の総合計は前記五の四七一四万四六八〇円に前記六の弁護士費用四七一万四四六八円を加えた五一八五万九一四八円であると認められる。

八  結論

以上によれば、原告の被告に対する請求は、五一八五万九一四八円及びこれに対する本件事故の日である昭和六二年一月一四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき、民訴法六一条、六四条本文を、仮執行の宣言につき同法二五九条一項(原告勝訴部分に限る。)をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官梶智紀)

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